丹波佐吉 柏原大新屋 神前灯篭 |
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【天保六年(1835)】柏原大新屋天神ノ下 神前灯篭 佐吉が二十歳の時、伊助四十歳が地元の伊勢講から請けた仕事、高さ五・三メートルあり高灯篭と呼ばれている。裏に石工難波金兵衛(伊助改)と彫られているが佐吉の名は彫られてはいない。 最初にこの灯篭を見た印象は、伊助と言う石工危ない仕事をすると思った、笠と玉で二百キロ以上はあるだろう、この火袋で支え切れないのでは・・・でも百七十年経った今でも建っている、伊助は新屋石の限界が分って彫ったかもしれない、今まで何度か地震にも遭っただろうが何所も欠けてはいない。 佐吉は灯篭の何所を彫ったのか、笠と玉ではないかと思う、二代目金兵衛(義継)の神前灯篭を下に載せます 伊助の存命中に義継が彫ったはず、火袋から下はそっくり同じライン、笠と玉は別物。 天保の頃すでに神前灯篭の割り寸法は確立されていて、各地で同じ型の神前灯篭が建っている中で、この灯篭は石工の拘りが見える、笠の四方の角をギリギリまで削りこみ、宝珠のエンソを此れでもか!!と、言わんばかりに伸ばしている、普通はシンプルな宝珠が乗っている。 伊助の命なのか、佐吉が暴走したのか、後に佐吉も灯篭を彫るが此れほどの物はお目にかかってはない。 |
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安政元年九月【】 (1854) 新井神社 二代目難波金兵衛作 初代難波金兵衛が存命中に二代目が彫った神前灯篭。 石は新屋石とよばれる地元の安山岩で、緻密で硬く風化にも強い、初代と佐吉の合作灯篭から十九年後に彫られた、宮付き神前灯篭。 |
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