1852年(嘉永五)平井八王子神社
この頃の浪速狛犬の尻尾は扇尾が
主流であり、立ち尾に近いデザイン
只、50cmと小さく細かい細工は難し
かったようだ。
1853(嘉永六)丹生川上神社
巻き毛が増え横幅もボリュムアップ
しているが、立ち尾に見える。
1854(嘉永七)神楽岡神社
浪速狛犬の扇尾を佐吉が彫るとこの
に、以後この型を造り込んでいく。

1854((嘉永七)宇陀水分神社
最初に和泉砂岩で彫った狛犬、細か
い細工が出来メリハリが付く。
1855(安政二)久米御縣神社
宇陀水分神社の狛犬と比べると物足
り ない印象を受ける。
1857(安政四)素盞鳴社
宇陀水分神社の狛犬を造り込み贅肉
が取れスリムに。
上の六作は、初期の佐吉狛犬の流れで、阿・右側・獅子、吽・左側・狛犬(一角有り)浪速狛犬の流れを踏まえて彫ってある、奈良県(大和大宇陀)を中心に仕事をしていた。
安政三年師匠の伊助(初代金兵衛)死後、丹波でキツネを彫ったが以後、大阪に仕事場が在りここで狛犬を彫り他地方へ発送していた、瀬戸内海を渡った狛犬が在るかもしれない。
1859(安政六)杵築神社
当時大阪近郊にも、出雲型の長身タ
イプが建てられており、佐吉にも影
響を与えたのでは、豪華な立ち尾と
台座になり他で類を見ない。
1859(安政六)八幡社
この尻尾が発展して、柏原八幡宮の
狛犬になったのでは
1860(安政七)御霊神社
和泉砂岩の特性を生かし、細部まで
彫り込んで在る、出来た当時は手が
切れるほど、エッジが立っていたので
は。
1861(文久元)柏原八幡宮
和泉砂岩の最上級の石で彫ってあ
る硬く緻密な石、反面脆さもあり欠け
た断面を見ると分る。
建て年号不明 摩毛神社
京都府で唯一の佐吉狛犬、柏原八幡
宮とは十数キロの距離、関連が在るかも。
1863(文久三)神岳神社
年号の彫ってある狛犬では最後の作
、只彫りは浅く、仕上も途中で止まっ
た箇所もあり佐吉作???。
平成七年に建て替え
年号欠落 阿波神社 (安政頃か?)
神岳神社・兵主神社と同じ尻尾のデザインでこの狛犬の尻尾が一番垢抜けている。
1862(文久二)兵主神社
資料で見た限りではメリハリのある尻
尾では無い。

海を渡った狛犬があるかも知
れない!!!

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