酒井孫兵衛狛犬
八代続いた石工酒井孫兵衛

最近、【石匠 酒井孫兵衛家八代の足跡(長濱宏雄)】郷土史のコピーを手に入れた、親族が石工孫兵衛の業績をまとめた書で、断片的にしか伝わっていなかった孫兵衛狛犬誕生記になっている。
嬉しさ半分、捜し歩いて出会った感動が薄れていくが、手引書にしている。感謝・・・・・。

寛永十三年(1636)三代将軍家光が氏神である、伊賀八幡宮の社殿大造営に伴い神橋の修理の為、摂津の国から招かれ、後に渡り職人として岡崎に住み着いたのが祖である。

伊賀八幡宮と神橋





孫兵衛を名乗ったのは三代目(弘化三年1846没)からで、四代目(元治二年1865没)の弟子として「五代目孫兵衛」「柴田勝次郎」「杉浦重吉」がいた、杉浦重吉が岡崎天満宮の狛犬を彫り、柴田勝次郎も二組の狛犬に名を彫っている。

五代目孫兵衛(明治二十二年1889没)が彫った狛犬は無い、五代目の弟子として「六代目孫兵衛」「中島仁三郎」「秋山兼四郎」がいる。

六代目が狛犬を彫り始めたのは、四代目の古い弟子達の狛犬に刺戟を受け、当時、神社の統廃合が進み、社殿等の造営も一段落し、石製品の奉納・移転が増え、岡崎石材業界は急速に発展した、、運搬手段の制約もあり岡崎周辺の神社からの需要が増え、オリジナル狛犬の創作に心血を注いでいった。

孫兵衛とは、屋号で特に六代目を名乗っていた当主は、岡崎石工組合の副会長の職も兼ねており、技術屋ではなく石匠(親方)で大勢の職人を束ね仕切っていた。

明治38年春 金石神社(西尾市上町宮前3−2)】
六代目孫兵衛が彫った最初の狛犬、当時主流だった宝珠狛犬の型を手本
にしたのだろう、尻尾は体に密着し細かく線刻で毛彫りされている。

明治40年 竹谷神社(蒲郡市竹谷町王子9−1)】
二作目の狛犬、顔の位置が変わり胸が張り多少贅肉が取
れて精悍さが出てきた。

明治41年9月 白山神社(安城市大岡町宮東43)】
三作目で体のラインがスリムになる、タテガミが明確
に彫られるようになり毛彫りも立体的に深く彫る様になった、この頃か
らライオンを意識しだした。頭の位置が前に出ていて、見る角度によ
ってかなり前傾姿勢に見える。

【明治43年8月 熊野神社(西尾市刈宿町後畑57)】
基本的には三作目と同じ彫り方、この頃から岡崎の石工達が孫兵衛
に刺戟を受け、新しい形の狛犬を彫り始めた。

【明治44年4月 八劔社(西尾市巨海宮岸40)】
刈宿熊野神社の隣にある神社に孫兵衛刻とは刻まれてない狛犬が建
っている、台座は明らかに孫兵衛の特徴で組んであり、狛犬も孫兵衛
の流儀で彫ってある、印象としては孫兵衛(六代目)より厳しく彫ってある
ように見える、もう一人腕の達つ、職人がいたのでは。

【明治44年9月 神明社(西尾市下町七長1)】

【大正2年 中之郷神社(岡崎市中之郷町宮ノ腰40)】
この狛犬も孫兵衛刻とは刻まれてない、台座も当時の孫兵衛狛犬が乗
っている形式とは違う。この狛犬かなり風化していて細かい細工は見難
いが明らかに、孫兵衛の店から出荷した狛犬だろう。
この狛犬から頭の位置が変わり胸を張った姿勢になり、どの角度から見
てもバランスの取れた形になる。

大正三年一月 神明社(高浜市吉浜芳川町2-1-6)】
大正二年の中之郷神社(岡崎市)と同じ体のラインをもつ孫兵衛と刻まれ
た狛犬、この形の狛犬は何人かの職人に教えられ以後、岡崎型狛犬の
原型になった。

大正三年 八幡社(刈谷市一色町2-1-10 )】
囲いの中に建っていて左の狛犬は正面からは撮影不可。

大正三年三月 若一王子神社(豊橋市嵩山町山奈木9-1 )
豊橋市内の参道で一番古い石狛犬。】

【大正四年一月 神明社(西尾市上永良町宮東11)】
大型の狛犬で良質の石で彫ってある、大正四年は孫兵衛狛犬造り込み
の年になる。多少誇張された部分もあるが筋肉質の体でギリギリまで彫
り込んである。

【大正四年一月 御油神社(豊川市御油油町膳ノ棚31 )】
孫兵衛が彫った最初の子付き・玉持ち狛犬、通常の岡崎型は左(吽)に子
獅子が付き、右(阿)は玉を踏んでいる。
子獅子を踏んだ狛犬は特に拘った彫りで、子獅子の全身を彫り、透かし
彫りを多用している、前足を彫り貫くのは大変だったろうと思う。
大正3年に岡崎徳王神社に最初の子付き・玉持ちの狛犬が建てられたが
現行の配置になって

大正4年9月 宇頭神明社  岡崎市宇頭町後久52
旧東海道沿いに在る神社、岡崎市内で最初に孫兵衛と刻まれたコマヤン。
耳がまだ上がりきってないが筋肉質の体、顔は小さめ、鼻はダンゴ鼻。

大正4年9月 北番場神明社( 田原市田原町北番場1)】

次へ