原石の供給が止まったためか、和泉砂岩・小松石で彫られた狛犬が極端に少なくなり台座と共に花崗岩で彫った狛犬が全盛になる。 |
孫兵衛の直弟子の戸松利吉作の狛犬。7代目孫兵衛の死後独立して自分の型の狛犬を彫り始めたが、見つかっているのは昭和9年~昭和33年の間に彫られた狛犬で、以後の狛犬は未発見。 |
作者不明の狛犬。この石工も孫兵衛の直弟子で、戸松利吉と同時期に自立した。8代目が後を継いでから、二人の職人が自分の彫った狛犬に名前を彫るようになったが、戦後33年以降の狛犬は見つかってない。 |
戦後の岡崎石工を代表する成瀬大吉の狛犬。この狛犬は昭和13年の奉納で大きさは約5尺で、当時の岡崎では最大の狛犬になる。大吉が狛犬職人としてデビューしたのは大正の末頃で、昭和の初め頃にはブームに乗り狛犬生産のリーダーになっていた。 |
松本市近辺に多く建っている狛犬。立派なタテガミでライオンを意識している。尻尾は江戸狛犬を意識したのだろうか、台座を含めて大型の狛犬が建っている。 |
昭和12年奉納の和泉砂岩で彫られた浪速狛犬。今まで出会った砂岩製で浪速型になった最後の狛犬になる。 |
昭和11年奉納、岡崎石工が本格的に古代型狛犬(大宝神社タイプ)を彫り始めた時期と、同時期東京の石工が手掛けた古代型狛犬、岡崎石工が彫った狛犬より垢抜けた作になる。 |
石工 赤羽 要人刻 製昨年は彫られてないが、おそらく昭和戦前の作だろう。角は付いていないが右と左では尻尾の彫り方を変えオリジナルに仕上げている。 |