大正の初めに考案された時はスタンダードの何も付いて無いのが主流で、西の狛犬の影響を受け装飾で子供と玉を彫るようになった。 只、意味は判らず技巧に走っていた。 昭和の終り頃には半々の比率になり、平成の御大典以降はめっきり子付き玉もちは減ったが、中国製は変わらなかった。 中間業者通さず地方の石材店、神社関係者と直接打ち合わせで子付き玉もちの意味を説明するとほゞ装飾は無い、本来の狛犬の姿に決まる。 |
最初の孫兵衛狛犬には彩色はされて無く、戦後の大量生産時に彫が浅くなり着色して出荷するようになった、引き渡し時に100%で雨風に晒され段々ペンキは剝れ、口の中だけ色が残る打ち合わせで説明すると殆ど色無しに。
岡崎産地も職人の高齢化が進み技術の伝承も途絶えつつ有り、彫刻材の山元も閉山今は石塔材の硬い石で狛犬を彫ってます、耐用年数は飛躍的に伸びました。 |