古くは織田信長が暗殺去れた折の伊賀越えで世話になった、岡八幡宮に家康が岡崎石工に狛犬を彫らせ奉納したのが最初とされる、次が元禄五年岡崎と豊田の山の上に在る神社に同型の狛犬が建てられた。
その後、幕末まで岡崎石工が彫った狛犬は見つかって無い、安政四年から『諸職絵鏡』を元に宝珠型狛犬の制作が始まり大正まで彫られていた、これが岡崎石工が彫った規格品の狛犬になる。
明治20年4月あま市・漆部(ぬりべ)神社、岡崎石工『柴田勝次郎』宝珠型狛犬ではなく獅子狛犬の様式で彫られている、岡崎石工の販路は愛知県限定だったのだろう、近隣の県で明治期の狛犬は未発見。
酒井孫兵衛(屋号)六代目の時期に息子二人に狛犬を彫らせ、自分はバックアップに回ったのだろうそれに答えた息子後の七代目・八代目才能が有ったのか凄い努力を重ねて狛犬を彫ったか、作品が証明している孫兵衛狛犬のクオリティーはかなり高い。
加藤八太郎・戸松庄松・成瀬大吉・杉浦磯次郎らが後を追いかけ次々と狛犬デビューする。
明治後半から独自にオリジナル狛犬を彫っていた職人が何人かいて、特徴のある狛犬を彫っていた。
孫兵衛狛犬誕生までは宝珠型狛犬も満画チックな造形が特徴で、この職人達もやはりゆるキャラっぽい彫り方をしている、名古屋石工や孫兵衛の彫り方について行けなかったか、年齢的に代替わりの時期だったのか。
時代は狛犬奉納のまっ盛りで需要はかなりあったはずで、淘汰されたのではなく引退したのかも、大正6年に孫兵衛工房が彫った狛犬は二十対を超えていた、教えられて直ぐに売れる狛犬が彫れる職人が何人いたか、加藤八太郎と言う石工は大正8年から自分の名前を彫った狛犬を建てている。
孫兵衛狛犬誕生から十年程たち、七代目・八代目とは味付けの違う孫兵衛狛犬が現れる、『鬼頭政一』『戸松利吉』利吉は戸松庄松の長男で昭和9年狛犬デビュー流石に孫兵衛工房で修業し父親を越えた。 |
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