石工丹波佐吉が残したモノは・・・・・
最初に丹波佐吉の名を聞いたのは、昭和五十年頃先輩職人との雑談中のときだった、江戸時代に石で尺八を彫った石工がいたらしい、覚えているのは尺八の事だけで普段はどんな仕事をしていたかは聞いたかもしれないが忘れてしまっていた。
平成十一年に「京都狛犬巡り」と言う本に出会った、中に丹波佐吉の狛犬が紹介されていて、佐吉が細工職人だったのが分った、小さな写真なので感動も無く、日本一の石工と称されていたのが印象に残り、他に何組か狛犬を彫っているのが分り興味が湧いた。
翌年、職人仲間の話の中で又丹波佐吉の名が出た、佐吉の狛犬が何組か載った本「狛犬の研究」
があり一冊分けてもらえた。

十三組狛犬が紹介され五組の写真が載っていて簡単な住所も添えられていた、早速現地へ出かけ狛犬と対面感動した・・・・!!!所在の分らぬ神社もあり一日では回り切れない為帰宅、感動した事を伝えるともう一冊佐吉の本が出ていると教えられ早速「旅の石工 丹波佐吉の生涯」を注文。
この本に出会ったことにより丹波佐吉熱がヒートアップし現在に至る。

現在知られているのは、兵庫県・京都府・奈良県・大阪府に『石仏』『狛犬』『石塔』『石墓』『灯篭』
等、多くの石製品が残っている。
佐吉の師匠である難波金兵衛(伊助)も石工の修行を経て一人前になり、自分の持っている経験と
技を佐吉に伝えたのだろう、刻字・彫刻を見ると佐吉の技術がよく判る、石にやさしく細部は撫でるように刻んでいて、百五十年以上経った今でも道具の痕が判る。

石工の道具は、ノミで殆どの仕事をする、セットウ(金槌)の打刻で彫っていくのだが、ノミの刃先に集中して力がかかり、石は欠けるが下地の石にはノミのダメージが残る、これをダメージの少ない道具で更に削り、仕上げていくのだ。佐吉が残した石の建造物を見ると細部の彫りもしっかり残っている、ノミのダメージを残さず石にやさしい彫り方で、当時大阪の石工に伝わっていた流儀を、根本から変えている。

佐吉が注目されるようになったのは、大阪で石の尺八を彫り、時の天皇より『日本一の石工』と賞されてから、奈良県菟田野町に在る大師山『西国八十八箇所霊場』の石仏を約三年かけて彫りながら、近くの神社の狛犬も手がけている、仏像は仏教の経典により姿・持ち物等が定められていて、佐吉もこれにそった仕事をしている、只、道具が届く細部までとことん彫ってある、性格なのか手本とするものがあったのか???。

江戸末期、印籠とそれに付随する根付けと言う彫り物があった、『根付け師』と呼ばれる職人達である、佐吉がこの職人達の仕事を見て参考にしたのでは、僅か一寸ほどの象牙や木に人物・動物等を意匠を凝らし極細工をしている。素材の粒子を一つ一つを削り取っていく為に専用の道具を手作りし、集中力で仕事をしていたのでは、佐吉の仕事ぶりと似ている。

神前灯篭 柏原町新町 伊助と合作
大師山石仏群 宇陀郡菟田野町 大阪から連れて来た職人と合作
水分神社灯篭 宇陀郡菟田野町 狛犬と同時期の作
皇太神社灯篭 宇陀郡菟田野町 地元では、おかげ灯篭と呼ばれている
合掌地蔵 宇陀郡大宇陀町 法正寺境内
布袋像 宇陀郡大宇陀町 徳源寺境内
北山稲荷 柏原町大新屋 佐吉と金兵衛(二代目)の合作
聖観音 青垣町稲土 大燈寺聖観音坐像

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